延寿堂通信 其の3 ~院長自己紹介~
今回は院長紹介です。
院内に入り、待合い室左を見るとガラスショーケースにズラリとヒーローマスクが飾ってあり、その上には著名人のサイン色紙が並んでいるのが目に入ります。
また、あちこちにカエルのキャラクターやマスコットが目に入ると思います。
初めて来院された方は皆驚かれています。
今回の延寿堂通信を読まれるとその理由が理解出来ると思います。
では、早速自己紹介。
名前は菊地延寿、えんじゅと書いてのぶひさと読みます。
1968年(昭和43年)生まれで、現在51歳です。
生まれも育ちもこの杉並区阿佐ヶ谷になります。
家族は家内と子供4人で、長男・次男・次女のそれぞれ大学、高校、中学進学が決まりほっとしたところです。
長女は高校2年になります。
家族についてはそんなところでして、次は院長自身について。
小学校時代はサッカーとピアノをやっていました。
その頃の興味は同年代には多い、ヒーローやアクション。
テレビ番組「仮面ライダー」を始め、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジャパンアクションクラブ(現JAE)などが男子には人気で、中学時代は映画ジェツト・リー主演の「少林寺」の公開で少林寺拳法を習い始めました。
少林寺拳法習い始める前は、カンフーと言えば松田隆智やブルース・リーの書物しか当時は学ぶ術がなく、書店や通信販売で小遣いを散財したもの。
ブルース・リーファンクラブにも在籍していたほどの熱狂ぶりだった。
走、今でこそV6の岡田准一氏がインストラクターにもなったおかげでジークンドー(当時は截拳道「せっけんどう」と呼んでいた)も有名になったし、映画「イップマン」のおかげで詠春拳もしられるようになった。
やがて少林寺拳法と映画少林寺の中國武術は異なるものと理解し、友人の紹介で太極拳協会に入会し長拳を習う。
しかし何となく馴染めずに高校入学後、友人の紹介でアクションクラブに入部。
この頃から殺陣とアクロバットにのめり込み、週に4日間くらいは体育館でアクションの練習をしていた。
日曜祭日はもっぱらヒーローショーに出て、あちこちを回った。
仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊がメインでしたが、その他ドラゴンボールやゲゲゲの鬼太郎ショーなどもやりました。
幸いもの凄いケガをしたことはなかったが、サッカーをしていた頃から父に連れていってもらっていた整体にも時々腰や足を傷めた際にお世話になっていた。
この頃から整体やカイロプラクティックにも興味を持つようになっていた。
同時にガレージキットというプラモデルとは違う造形物にも興味を持ち始め、海洋堂のロビーがあった茅場町まで足を運び、欲しいキットを買っては改造してカスタマイズするということを繰り返していた。
大学では心理学を専攻し、当時は心理学ブームでテレビでは「それゆけサイコロジー」なる番組まで登場したほど。
そう、この頃東中野にある喧嘩芸骨法という道場にも入門し、整体と稽古とお世話になり、初めて吸い玉療法と出会った。
因みに30年前の、この時のヒーローショーのギャラと骨法整体の治療費の関係が今の延寿堂の基本料金の考え方になっている。
はっきり言って、この治療業界は30年前と比べて治療費は横ばい。
ヒーローショーの一人当たりのギャラは倍近くになっているのに。
とまあ、この頃までに今のベースがほぼ出来上がっていたようです。
大学卒業後はワーキングホリデーでオーストラリアへ、現地でハンティングを体験し、帰国後クレー射撃と狩猟のお免許を取得。
キャンプが好きで、キャンプ指導者にもなり、子どもたちのキャンプリーダーを務めた時期もありました。
その後父の会社に就職し、3年ほど経ったころに大病を患い長期入院することに。
これがきっかけで、身体のことに興味を持ち始め、退院後に父の反対を押し切ってこの業界に飛び込みました。
最初に整骨院の現場に入り、働きながら柔道整復師養成の専門学校に3年間通い免許を取得。
その間に家内と結婚し、子供も産まれもの凄い大変な中、平成15年6月2日に「菊地整骨院」を開院しました。
もう開院して16年も経ったのですね。
長いような、短いようなです。
要約するとですね、院長は昭和43年男で、第二次怪獣、変身ブームで育ち、バイクやアクション大好き人間で、
病気がきっかけでこの業界に転業し、現在は趣味でセパタクローや造形を楽しんでいます。
個々の趣味については今後のネタにしていきます。
今回はこの辺で大雑把に院長紹介させていただきました!
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